半田沼の赤べこ

原文

むかし、義経の頃、半田山の峯通って、ずうっと吾妻街道つがなあったんだと。

そん時、ちょうどに、金売吉次、その人たち、金銀財宝を赤べこさつけて、まあ、宝物をだない、赤べこさつけて、ここを往復したんだそうだ。

そん時、足すべらせて、半田沼さ、そのう、赤べこ入った。それが、半田沼の主になったんだというはなしなんだな。

その主が、まあ桜姫ともいわれた塚野目のおしのさんを見染めたつうか、それはそれはりっぱなおさむらいに化けて通ったというはなしなんだな。

おら聞いったはなしでは、その通る道に水路を使ったつうんだな、通うにない。

塚野目のそこんとこに、俗に言う「たんにぇ」というとこに小さな沼こがあったんだが、その沼こが、半田沼と通じったつうんだな。たとえば、その沼こさ、きね、ほれ餅つくきね、兎が餅つくがな、そのきねな、あれは、どんぶりとぶちこむつうと、半田沼さ行って浮きた。半田沼でぶちこめば、こんだ、こっちさ浮きるつう。それで半田沼から塚野目さ通ったつうんだな、その水路通ってな。

そのおしのさんつうのは、すこぶる、その美人らしかったんだなあ。そんじぇ、その半田沼の主、赤べこの化身、それはそれはりっぱなおさむらいに化けて、そして夜ごとに、おしのさんのもとさ通った。

それにひかされて、おしのさんも、いよいよ嫁になったというか、ま、とついだわけなんだそうだな。まあ、さらわれたんだべなあ。夜、さらって行かれたみたいな状態だったんだべなあ。それで村中大さわぎして、今でいえば、消防団だな、ま、みんなして、大さわぎして、手分けして、みんなしてさがした。

そして、半田沼まで行ってみたっけ、半田沼のふちさ、はきものあった。そんで、機織る音聞こえたなんてもいうな。そんで、ちょっと気が利いたもの、半田沼さ、むぐってみた。

この科学時代に、おら語るも恥ずかしいがな。したっけ半田沼の底さ家あったなんてなん、信じられも何もないげんちょもな。

そこで、行ったがなに、実はこういうわけだと、おしのさんの語ったとこによれば、たまたま、おやじが、奥の座敷で休んでいた。それをその、そっと開けてみた時に、とてもじゃないが、すっばらしいその赤べこで、大いびきかいて、むこさま寝ったとこだった。あ、その驚きかた、たいしたもんだ。

しかし、こういうものの嫁になっては、どうも帰るわけにもいかね。おれは、こういうとんでもない魔物にひっかかって、その奥様になったが、今更実家に帰りようもない。もうはあ、ここで生活するよりほかない。ほんじぇお礼返しもできねから、何か地元の役に立つように、ほんとうの日照りの時は、みんなして、その、ここさ来う。そうすれば、雨は降らせてやっから、と。

ま、そだようなこと聞いてるわけだ。そんじぇ、今も、にしき桜というがな、ここに一本あるんですよ。そんじぇ、その娘は、なんぼ、十七か八だったんだべなあ。そんじぇ、その桜は咲かないでおわんがんだというわけだ。ほんに咲かないようだ。今何代目かわかんねえが、花咲かねんだい。花咲かねで、おわったからな。

今でも、塚野目では、おしの、という名前は女の子につけてなんねことになってます。

ほんで、それから、日照りの時は、半田沼さ行って、おしのさんに雨乞いする。ま、これで、降んねでしまったことはないない。 塚野目 菊地唯七

国見町教育委員会『国見の民話』より