水沼の赤めだら牛のはなし

原文

むかしむかし、むくろぎ山と太郎坊山の谷間は広い広い千畳敷もある沼だったそうだ。沼の岸は古い谷地で草や木が生い茂り、谷の合間の辺はいつも「ふった、ふった」(古田)と波が立っている深みであったという。

その沼に「赤めだら牛」という沼の主が住み、この地を安住の地としていた。やがて天地の異変で、その沼もぶんぬけ(桧木田)赤めだら牛は、沼の水と共にひょいと(兵衛田)とんだり、はねたり(羽石)して、のんのが(布川)のんのがと流され、つきあたった(月舘)ところは広瀬川、やがて着いたところが「越河の馬沼」そして馬と共に住むようになった。

それから今の馬牛の沼となったそうだ。それでも、赤めだら牛はむかしの水沼恋しさのあまり、夜な夜な、うしみつ時になると「水沼恋し、もおう、もおう」と泣いたという。そして、もとの千畳敷の水沼にしたものは長者にするといったそうだ。

今は、昔の赤めだら牛の住んだ水沼をしのぶかのように、字水沼の湿田の一隅に昔から清水が出る小さな古池があり、その古池を水沼の水神様として、部落の人々はこの年の豊作を祈り、又雨よばりの神様として信仰を続けている。

webサイト「ふくしま教育情報データベース」
月舘町教育委員会『月舘町伝承民話集』より