赤目鱈主

福島県二本松市

昔、油井村の長谷堂に長者がおり、屋敷の裏沼に赤目鱈主という年を経た淡水魚が住んでいた。ところが、長者の家が火事になり、消火のために沼の水がなくなってしまった。赤目鱈主は仕方なく美しい少女の姿になって、とぼとぼと土湯街道を西にのぼった。

塩沢村の休石を過ぎ、雑木林の中に沼を見つけ、身を隠したが、その後雨で湯川が氾濫して押し流されたので、赤目鱈主はまた住むところを失ってしまった。その休石の沼は牛沼というが、今は水が涸れ、咲き乱れる花が当時の面影を残すのみだ。

さて、ある日の昼過ぎ、馬子が通ると、十五歳ぐらいの娘に土湯まで送ってほしいと頼まれ送った。すると娘は、自分は魚だから上の沼に住むが、ご恩は一生忘れません、といって夕闇の中に消えた。土湯の男沼では、底深く赤目鱈主が泳ぐ姿を見た者もいたという。

『二本松市史 第8巻 民俗』より要約

各地名は今もあり、土湯というのは福島市土湯温泉町のことだが、男沼も現存している。湯川というのは油井川の上流部のことと思われ、これを西に遡っていって、黒森山を越えて土湯温泉のほうまで赤目鱈主の娘は移動したのだ。

おそらくこれは同系の名であったと思われ、こちらの話でも、娘が一時住みかとした休石にあったという沼の名が「牛沼」である点にそれが垣間見える。しかし、この名は「雨垂」からの転ではないかと考えるのだが、赤目鱈主の話にはその面がないのが残念だ。