昔、都の将軍が奥州に来る途中にこの地に宿をとり、宿の美しい娘と一夜の情を結んだ。発った後も将軍は娘を忘れられず、再度訪れた。すると、娘はすでに身ごもっており、将軍にしばらく留まって産屋を建ててほしいと告げ、しかし産屋は決して覗いてはならないといった。
将軍は従者に産屋を建てさせ、しばし留まることにした。しばらくしてお産となったが、約束したにもかかわらず、将軍は産屋を覗いてしまった。すると、中では大蛇が男子の赤子をあやしていた。将軍が戸板を破って中に入ると、大蛇はたちまちに娘に変わり、自分は無行沼に住む龍女で、見破られたからには沼に帰らねばならない、といった。
そして、それを赤子にしゃぶらせれば乳代わりになってよく育つ珠と、沼に投げ入れると水が引いて自由に歩けるようになる珠の二つの宝珠を残して去った。将軍がさっそく一つを雌沼に投げ入れると、たちまち水が引いて、雄沼にも楽に通れるようになった。また、将軍は赤子を連れて都に帰ったが、もう一つの珠をしゃぶらせると男子はよく育った。
さて、赤子は十三歳になり、母恋しさに会津を訪れた。せめて夢にと祈ったところ、母が夢枕に立ち、自分は無行沼の龍女だから会えないが、清瀧寺に観音堂を建ててくれれば、世の子どもが丈夫に育つように御利益を授けよう、といった。現在の清瀧寺境内の子安観音堂がこれであるといい、子どもの守り観音とされている。
将軍とは坂上田村麻呂、田村将軍のことと思われる。清瀧寺というのは現状不詳。子安観音堂は市史に写真があるので現存しているようだ。無行沼もあり、伝説の多い沼だ(「無行沼と貴船神社」)。
蛇が安産の神として信仰される、という実例はほとんど今には伝わっていない。豊玉姫命を子安の女神とするのはそうだろうといえばそうだが、「蛇だから」と認識されているわけではないだろう。まだ腹帯をする習俗が残っていた頃、ごくまれに腹帯に蛇の抜け殻を挟むと良い、とする土地はあったが。
無行沼は喜多方から米沢街道をたどった途中分け入るが、米沢から西に転じて山形県西置賜郡小国町には産屋に蛇が巻き付いて安産を見守るオオミヤサマの信仰があったという。
また、東北地方は山の神が安産の神だが、山の神と蛇の連絡を語る話も磐城のほうにはある(「オチカミさまと安産」)。この田村将軍と蛇女房の話も、そのあたりと並べて見ておきたいだろうか。
一方で、この話の構成は遠く離れた遠州は天竜川の下流部、有玉周辺で語られる話でもある(大蛇の授けた潮乾珠などというところまで共通する)。そちらは社寺縁起としてあったことがはっきりしているものだが、会津との間にどのような関係があったものか。