法念沼

原文

今から百二、三十年前の江戸時代のことです。山田の大津あたりに大きな杉の木にかこまれた森があり、この森の中に三つの沼がありました。その一つの沼を法念沼とよび、沼の主は大亀だといわれていましたが、だれも見た人はいませんでした。

法念沼のまわりは竹やぶがおいしげり、大きな杉がこずえを空高くのばし、昼でもうす暗い所でした。しかし、その沼の水は虹の色のように、一日に七回、七色に変る美しい沼でした。

そのころ、大津に緑川覚右衛門という人が住んでいました。彼は百姓でしたが、学者でもあり、また弓の名人でもありました。

米や麦や野菜をつくりながら、染物につかう「藍」をつくり、あちらこちらの染物屋に行商することを副業にしていました。

ある日のこと、覚右衛門が法念沼で釣りをしていた所に一匹の大亀が沼の中ほどに浮びあがってきました。

それを見た覚右衛門はその大亀を射ようと弓矢をとりに家へ走ってもどり、沼へとって返しました。そして大亀めがけて矢を射ると、ねらいどおり大亀にあたりました。しかし大亀はそのまま、沼の中に沈んでしまいましたが、その時沼の色は紫色に変りました。

そんなことがあって間もなく、大水になり田畑の作物が流され大そう困りました。部落の人たちは「大亀のたたりだろう」と声をひそめて語り合いました。その時の大水で沼の底に沈んでいた大亀は、川におし出されて南の海の方へ流されて行きました。

月日がたち、覚右衛門は「藍玉」の行商で常陸国龍ヶ崎付近を通りかかりました。日もくれたので宿屋につき腰をおろしてわらじをぬぎ足を洗おうとして、たらいの中に目をやりました。すると、たらいの底には以前、彼が射殺した亀の甲羅がはってあるのが見えました。おどろき思わず立とうとして、たらいの中に両足をふみ入れてしまいました。そのため足の裏にけがをしてしまいました。その足を布でしばり、番頭に案内されて部屋にはいりました。

部屋にはいった覚右衛門が床の間をみたところ、一本の矢がかざってありました。よく見るとその矢には自分の名がかいてあります。「あっ」とさけんだ彼は、法念沼で大亀を射殺した時につかった矢であったことを思い出しました。たらいの中の甲羅といい、床の間の矢といい、覚右衛門はおどろきのくり返しでした。どうして常陸国にあるのかと考えても、考えても、わからないまま、重い病気になってしまい、とうとうその宿屋で死んでしまいました。

これは沼の主の大亀を射殺した「たたり」ではないかといい伝えられています。

いわき地方史研究会『いわきの伝説と民話』より