里屋橋

原文

七本松より少しく南に当たり、小名浜街道にあり、伝え言う、昔久保村よりケヤキの巨材を伐り出して橋にかけようとしたが、木は重くて、人夫大勢で引いても押しても動かなかった。

お里という女を頼み、木遣をかけ運搬するに、難なく木は動いて橋ができたという。その名によってさとや橋と名づけたと伝える。場所は今の鹿島の蔵持である(『石城郡誌』)。

『石城伝説集』では左のように伝えている。

鹿島村蔵持にさとと呼ぶ美しい少女(寡婦ともいう)があって、黄昏に軒端で歌う声にひかれて、毎夜同じ時刻に訪ねてくる不思議な若者があった。

そのころ村では、蔵持三島八幡社境内のエノキ(あるいは神白村梵天山の大ケヤキ)を伐り倒して、少女の家の側の橋をかけることになった。若者は、会うのは今宵限りと名残りを惜しんだ翌日、人々はこの木を伐ったが、切り口からは盛んに血が流れた。さて運ぼうとしたが少しも動かない。困った人々は、さとを呼んできて歌をうたわせ、音頭をとらせたところ、木は自ら動き出して安々と目的地に達することができた。これから若者の姿は見えなくなった。(いわき市鹿島町)

岩崎敏夫『磐城岩代の伝説』
(第一法規出版)より