むかし、佐竹領の大貫村(茨城県東茨城郡大貫町=水戸の大洗付近)に、孫左衛門という若い漁師がおり、老母と二人暮らしでした。
ある日、北方の平沼之内沿岸へはるばる漁にきました。たまたま漁を休んで賢沼弁財天へお参りしました。まえまえから、弁天さまは霊験あらたかな神だときかされていましたが、孫左衛門は出世を夢見ていたのでしょうか。船主になりたいと一心になって願をかけました。
ところが少しばかり知恵がおくれていた孫左衛門でしたから、船主ということをただ主になりたいと祈ってしまったのです。
さあ、大変なことになりました。弁天さまはいろいろと考えました。あげくのはてに「きっと大蛇の主になりたいのであろう」とばかり孫左衛門の願いをかなえてやることになりました。いまさら、どうすることもできない孫左衛門はとうとう沼の主に納まることになりました。
郷里でひとり淋しく、息子の帰りを待っている老母のことが気がかりで、翌年の夏に人間の姿となって我が家へ帰りました。
わが家に帰った孫左衛門は老母に向かって「少し疲れているから、奥の部屋で寝かせて下さい。それから絶対に俺の部屋をのぞかないでね」と部屋にこもりました。
あいにく、その日は大変暑い日でした。部屋の戸は締めきっていましたから、老母はさぞかし、あつかろうと戸を少しばかりあけてやりました。ところが奥の部屋一ぱいになって、大蛇がトグロを巻いているではありませんか。この姿を見た老母は腰を抜かさんばかりに驚きました。
この事に気がついた孫左衛門は、こんな姿を見られてはもう二度と老母に会わせる顔がないと思い最後の親孝行のつもりで、老母が日ごろ信心している一の宮(愛知県)の天王さまへ連れて行くことになりました。
早速、老母を背に、雲にのって一の宮天王さまをお参りしました。そして孫左衛門は泣く泣く沼へ帰ってしまいました。
その後老母は息子恋しさにたまりかねて、はるばる沼をおとずれ「孫左衛門・孫左衛門」と呼びつづけました。すると、大蛇は二度ほど浮かびあがって、目に一ぱいの涙をためながら、沼の底深く姿を消してしまいました。それ以来、再び浮かんではこなかったということです。
今でも漁師たちが沼のほとりで孫左衛門の話をすると、沼の波が立ちさわぐと伝えられています。
(『豊間の郷土史』)