孫左衛門のはなし

福島県いわき市

昔、佐竹領の大貫村(茨城県の大洗)に孫左衛門という漁師が老母と二人で暮らしていた。孫左衛門がはるばる平沼之内に漁に来た際、賢沼の弁天さまにお参りした。かねて霊験あらたかと聞こえた弁天さまなので、孫左衛門は、船主になりたいということを一心に願った。

ところが、孫左衛門は少々足りない男であったので、船主になりたいというところを、ただ「主になりたい」とだけ祈ってしまった。それで弁天さまは、主とは何のヌシだろうかと困り、さんざん考えた挙句、沼のヌシになりたいということだろうと思って、孫左衛門を大蛇にしてしまった。

蛇となっては家にも帰れぬ孫左衛門だったが、一人淋しく暮らしている老母が気になり、翌年の夏に人の姿となって一時帰郷した。ところが、寝ているところは見ないでくれ、といった孫左衛門の寝姿を母は見てしまい、息子が大蛇となっているのを知った母は腰を抜かしてしまった。

それでもう居れぬと思った孫左衛門は、最後の親孝行と、母を背に乗せ雲をかって母の信心する一の宮の天王さま(愛知県)へ連れて行き、帰ってからは泣く泣く沼へと戻った。老母は息子恋しさに、沼を訪れ名を呼んだが、二度ほど浮かび上がった大蛇はもうそれ以降浮かんでこなかったそうな。今でも、沼で孫左衛門の名を呼ぶと、波が立ち騒ぐという。

いわき地方史研究会『いわきの伝説と民話』より要約

大ウナギの生息地として知られる賢沼が舞台であり、弁天さまとは密蔵院賢沼寺の沼ノ内弁財天を言う。途中から孫左衛門がヌシとなった沼がただ「沼」とだけ語られるので、はっきりどこのヌシになったのだか分らないが、賢沼のヌシということでよいのだろうか。

しかし、何のヌシになりたいのかよく分からず願主を大蛇にしてしまうという弁天さんも大概だが、それでそういった笑い話なのかというと、後半妙に老母とのやり取りがしんみりと語られていて、笑っておしまいという風でもない。

そもそも、執念という点を抜いて人の男が蛇になるという話は非常にまれなので、単なる笑い話でないとして、では何かというのも比較の対象が思い浮かばないが。漁師の話であること、津島の天王信仰と関係がありそうなこと、といった所を頭に入れておきつつ、周辺の民俗などたどるべきだろうか。