蛇がん淵

原文

好間川の上流にある蛇ヶ淵は、蛇がん淵とも呼んでいるが、昔はここに蛇が棲んでいた。この伝説は頗る有名で、様々な言い伝えを持っている。

 

好間川の流れが、二岐に分れているその中の、島のようになっている川原に、一件の家があって、どんな洪水にも浸水しないが、昔は水の出るたび流されてばかりいた。母親は嘆息して、家が流されずにすむならば、三人の娘の中一人は、淵の主にやってもよいがと何気なしにつぶやいた。それからというもの、毎日のように若者が来て、水難はまぬがれるようにするからと言って、娘の一人を欲しがった。一方娘も時々居なくなるので、不審を抱いた母親が後をつけてみると、淵のそばに大蛇がぐるぐる巻いている中に坐っていた。娘には侍の姿に見えたのである。母親は驚いて帰ったが、若侍の訪問はやまず、母は仕方なく娘の希望をかなえてやった。幾日か後、娘達が泊りに来たが、私の姿は覗かないでという願いもきかず、おそるおそる覗いた母親は、二匹の蛇体を見て肝をつぶした。娘は姿を見られたことを悲しみ、再びお目にかかれないと言って、形見に片方の下駄と鱗一片とを残して去った。止むなく娘を大蛇にくれた後の或る晩、父親は、娘が淵の岩の上で髪を洗っているのを夢に見た。夢からさめると枕元に三反の織物があったが、大蛇のひげで織ったものであった。そして端の方にこの家に何か祝事等のある場合、これをかの淵に供えれば、百人前の椀を借りることができるだろうとの意味が記されてあった。それからというもの、大変重宝な思いをしていたが、三度目に借りた時、椀の蓋を水に流してしまったので、あとは反物を供えても、もう効果がなくなってしまった。反物を見るのも何となく恐ろしい気がしてきて占ってみると、反物の祭をよくしてくれないからだ、近くの龍門寺に納めてまつれとの事だったので、そのようにした。龍門寺の井戸と此淵は続いていると考えられる。なおこの家だけは今迄洪水にも浸水しない。淵の側に小祠があり、洪水ごとに赤飯団子等を供えて、娘の霊を慰め水の神を祀るのをならわしとしており、且つ出水の時などは夢の知らせがあるという。

 

この伝承には蛇聟入りの昔話とか、椀貸淵の伝説の要素など含まれていて興味深い。

『いわき市史 第七巻 民俗』より