水の中に御殿のあった話

福島県いわき市

鮫川の御前淵で、樵夫が誤って山刀を淵中に落とした。水がきれいで山刀が透けて見えるので、取ろうとしたが、どこまで入っても届かず、水底に達した。すると、そこには壮麗な御殿があって、美しい姫君が機を織っていた。姫は樵夫に、ここは人の来るところではない、山刀を返すから主人に見つからぬうちにすぐ帰るよう言った。

さらに、この所のことは決して人に話してはいけない、ともいった。その時、大きないびきが聞こえ、樵夫が見ると、恐ろしい大蛇が眠っているのであった。樵夫が急ぎ水上に帰ると、家では樵夫の命日だと法事をしているところだった。

人々が生きて帰った樵夫にあれこれ聞くので、樵夫はつい口を滑らせて、水中の御殿のことを話してしまった。途端に大雨が降り、樵夫のみが流されてその淵に沈んだという。淵は機織御膳の淵ということで御前淵と呼ばれるようになり、今も村人は唐黍の茎で機台をつくって川に流す。(『全国昔話記録 磐城昔話集』)

『日本昔話通観7』より要約

山刀・鉈斧などを落とすという発端は典型だが、水が透き通っていて、手を入れればすぐ取れそうなのに、入ってみるとまるで届かずに深い底へもぐってしまう、と語られるのも、各地の話で同じように語られる部分だ。

また、話の結末に向かう要素が、この場所の存在を人に言ってはならない、という禁とその禁を破ることであるという筋は、周辺(鮫川以外でも)よく共通して見え、かなり重要なポイントであるように思われる。

一方、ここではその淵の姫の主人が大蛇であるとはっきり書かれているところも目を引く。鮫川といい、鮫が遡上するという伝説があるところなので、根本的なヌシは鮫のようであり、そう語るものもあるが、機織姫と鮫の話は別のもののようでもある。確かにここは大蛇であるほうがおさまりはよいだろう。

なお、この筋にない点を補足すると、概ね樵夫が淵中から帰ると、三年の月日がたっており、本人の法要が営まれている、という運びとなる。またその日が七夕であった、と機流しの由来ともなる(盆の十六日というものもある)。この二点は省略されているが、上の筋でも共通だろうか。