鮫川の御前淵 福島県いわき市 石城郡の鮫川の上流約一二、三キロメートルのところに、御前淵と呼ばれているところがある。年に一回ずつはこの川に鮫が上ってきたので鮫川と名づけたのだという。山田村大村の人がこの淵に落した山刀を捜しに入り、三年目に村に帰ってきた。その日が七月七日の七夕にあたっており、その人は水中で乙女の機を織るのを見たそうだ。それから毎年七夕の夜、もろこしで機をつくりこの淵に入れて祭りをするという。(『石城郡誌』) 『日本伝説大系3』(みずうみ書房)より 勿来の北を流れる鮫川に御前淵はある。今はもう往時の深い淵の様相ではないようだが、川部町地内となり、四時(しとき)川が鮫川と合流する少し上流部となる。 その御前淵にまつわる伝説を簡単に記すと上のようになるだろう。しかし、類話をたどると色々さまざまに語り伝えられる淵でもあり、その幅は見ておきたい。鮫川にはまず、その名の由来である鮫の伝説というのがある(「菊田浦の大鮫」など)。 しかし、これと機織姫の話は必ずしも同一線上にはないようで、姫の主はやはり大蛇であった、という話がある(「水の中に御殿のあった話」)。多くの話に共通する、「言うなの禁」を破った幕という点もそちらを参照されたい。 また、淵の姫はそもそも近くの大家の娘であった、という話があり(「乙女淵・御前淵」)、そちらが強調されると淵の名は乙女淵ともなるようだ。ちなみに御前淵の御前も、機織御前だからそういうとも、その姫の主(大蛇)が御前なのだともいう。 さらに、山刀を落としたという話は斧を落としたという話にもなるが、これがイソップのように金の斧・銀の斧の展開になるものもある(「御前淵の鮫と金の斧」)。周辺他の話には全くそういった感じがないので、とってつけたようなところはあるが、一応その存在は押さえておきたい。 このあたりの海側には、こうした機織姫の淵の話がよくあるが(「機織伝説」なども参照)、中でもやはりこの鮫川の御前淵は、その話の多様さにおいても、実際に行われてきた機流しの習俗においても突出したものといえると思う。 ツイート