湖底に沈んだ四十八ヶ村

原文

大同元年というむかし、磐梯山が大爆発をおこし、麓の四十八ヶ村は一夜にして湖となって湖底に沈んでしまった。いまでも晴れた日に湖を舟で渡ると、湖底に神社の神木の株や鳥居などがみえる。それを裏付ける「湖底四十八ヶ村名と名主名」という古文書が、湖北の長坂村渡部名主の家に伝わっていた。

渡部家の写しかとみられる「天長二年猪苗代湖内村名名主附」という書きものが、湖南横沢の三坂政吉家に伝わっている。渡部伊九右衛門とあるのは、長坂村の渡部村の渡部家の先祖であろうか。書き出しに

奥州会津御領ノ内

白砂郡七草郷山里組月輪之荘邑数記附

人王五十三代天長二乙巳年九月、水海ニ相成申候村之名主左二記置申候

とあり、四十九ヶ村名と名主名が書きつらねてある。これには四十九ヶ村とあるが、湖南地方では四十八ヶ村といっている。磐梯町本寺の恵日寺縁起に「大同元年磐梯山爆発し、一夜にして麓が湖となり溺死する者数知れず」とあり、それを受けて横沢村の麓山由緒や、猪苗代北高野の麓山由緒にもそう書かれてある。猪苗代湖の成因を磐梯山爆発に結びつけるのは地質学上許されないが、沿岸住民は一千年来そう語り継いできた。真説は真説として、伝説の世界にはそれなりの心意現象がはたらき、ながいあいだ語りあたためった住民感覚が脈絡とうけつがれている。土地の人びとのもっている根強いふるさと意識であろう。地質学では否定している。それでも湖底には四十八ヶ村が沈んでいる。(湖南町 橋本武)

郡山市教育委員会『郡山の伝説』より