明治四十二年の初冬の真夜中、横沢村川崎の滝田さんは小用に起きた。
寒い晩だ。湖の波が聞こえる。その波音のあい間に人の叫ぶような声が聞こえる。耳のせいかな、と思ったが矢張り人の声だ。
滝田さんは家人を起こし、ガンドウをともしてその声のする湖の方に行く。すると土手にずぶ濡れの男が倒れている。もう、声もかれている。けんかでもして叩かれたのか、ときけば男は首をふり、
「舟が難破して浜に打ちあげられ、仲間が死にそうだ、早く助けてくれ」
という。精根の限りを尽したとみえ、その男は最後の力をふり絞って浜に案内する。
怒涛の砂浜に打ちあげられた、あとの三人が息も絶え絶えになっていた。中浜のものだという。
四人の舟乗りは、滝田さんの家で先ずワラ火をたいて温めてもらい、次にいろり火にあたり飯を食わせてもらい、ようやく生きた心地をとりもどした。しかし衰弱がひどく四人はすぐ勝手の間にふとんを敷いてもらい、そのまま正体もなく眠った。
翌朝、中浜に態夫(わざふ)をたてて連絡した。
いまのように電話がないから不便だった。
舟乗りは中浜の鉄五郎・その弟の勇松・仲間の長七・秀吉の四人だ。
その人達のはなしによれば、その朝は波もおだやかだったので、木炭や枕木を舟に積み港を出た。ところがまもなく、俄に戸ノ口の方から風が荒れ出し、大波になった。
それで一旦沖に出て帆をあげてから上戸に進路をとるつもりであったが、帆をあげそこない舟はあっという間に転覆し、四人は湖面になげ出されてしまった。
雪まじりの横雨が降り湖は冷たい。四人は舟板につかまり助けを求めるが、あたりには舟影一つみえない。陸は遠い。これから波間を漂流すること実に十数時間の地獄の責め苦が続く。寒さと過労に、ともすれば板をつかむ力がゆるむ。その手を離したらしぬのだ。
「南無金比羅大権現」「南無金比羅大権現」
と声高らかに祈り続けた。互いに励まし合い、ようやく夜更けの横沢浜に打ち上げられ、九死に一生を得た。よくも凍死しなかったものだ。
舟乗りたちは、
「助けってもらって有難い、こうなったら何もかも打ちあけやしょう」
といって奇怪なはなしを語った。
「実は二年前の或る日、いつものように上戸に向って鬼沼沖から湖心にかかると、前方に岩がみえた。あわててカジを切ってよけようとすると、その岩だと思ったのは大赤亀だ。一同が驚ろくと、その大赤亀は忽ち湖底に姿を消した。これこそ猪苗代湖の主といわれるものだ。『主を見たものは三年以内に難船する』という言い伝えがある。不吉な予感がした。果して今度このような目に遭った。」
と語った。(話者、勇松の実姉渡部マサさん・当時中浜在住の猪越三良さん)