千代ヶ崎

原文

昔、湖南の舘から小櫃を経て中地、安佐野や三代、勢至堂を結ぶのが主要道であったが、舘から小櫃へ入る手前の千代ヶ崎は、四十八軒もの村だったという。

この村に絶世の美女が住んでおり、名をお千代といった。このお千代にいい寄る若者は多かったが、舘の村役を勤める若者と仲よくなった。夜毎の逢引きは重なり、末久しくと契りも固く歳月は過ぎていったが、その若者に公用が出来、長い旅路に発つことになった。

「夜毎、逢っていながら、胸の思いの半分もいえないものを」

と切なく男の帰郷を待った。

ところがある夜、ひょっこりと若者が戻って来た。意外に任務がはかどったという。それからというもの、二人の悦びは前にも増して、楽しい夜毎を続けた。

しばらくたったある日、やって来た若者が抱きつくように側に寄って来て、

「逢いたかった。逢いたかった。どんなに恋しかったか。片時も忘れることは出来なかった」

と旅の苦労を織り混ぜて話しかけるので、お千代はあっけにとられた。

「昨夜も逢っているのに、何を今ごろそんなことをいうのか」

と不審でならなかった。若者の方は情がつのるばかりなのに、お千代は不思議さに、知らず知らず心が沈んだ。

若者は、お千代のそんな態度から、自分の留守中に何事かあったに違いないと思うのだった。お千代は不思議なことがあるものと、思いきって今までの事を打ちあけて話したところ、若者の驚きもひと方でなく、

「自分は旅の空で片時も忘れたことがない。むずかしい任務の間も思い出されて、飛ぶようにして戻ったばかりなのに、もう一人の自分が、夜毎お千代の許に通っていたとは」

そして、若者もお千代も不審がった。

話をしている内に、お千代には、もう一人の若者にはいわれてみれば何か腑に落ちないことがあったように思われた。そこで若者はいった。

「今度、その男が来たら何かのしるしを付けてみたら」

夜も遅くなって若者はしのんで来た。お千代は、どちらが本物なのか、嘘なのか半信半疑で若者をみた。気が遠くなるばかりの心の乱れはあったが、思いあまってしなだれる振りをして男の着物の襟に針をさした。

若者は、ちょっと驚きの声を立てたが、過ちなら仕方がないと、怒りもしないで帰って行った。お千代は、まんじりともしないで夜を明かしたが、朝になってみると、家の前に血がこぼれていた。しかも、それは点々と続いている。お千代は勇気を出して、その跡をたどって行くと、小櫃の山の端、十日林の山陰の洞穴に続いていた。その洞穴を覗くと何か話し声がもれて来た。耳をすますと、

「自分は、若い女に身ごもらせた」

と苦しげなうめき声であった。お千代は、気も転倒したが、別の言葉にまた吸い寄せられた。

「人間は利口だから、その事がわかればすぐおろしてしまうよ」

すると、うめきながら

「そんな事が出来るか」

と聞き返す。お千代はワナワナ身震しながら、次の言葉を待っていると

「そんな事は訳ない。五月節句の菖蒲湯に入り、菖蒲酒を飲めばすぐおりる」

待ちかねて菖蒲湯につかり、菖蒲湯を飲んだ。ところがどうであろう。盥いっぱいいの蛇の子を産み落とした。お千代は世間体を恥じて家の裏の川に身を投げて、若い生命を絶ったが、あの洞穴のかたわらにも、大きな蛇体が死んでいたという。

お千代は、千代ヶ崎弾正という豪族の娘であったというが、身投げしたところの地名を千代ヶ崎と今に伝えている。

(伝承地 湖南町舘:湖南町 鈴木素祐)

郡山市教育委員会『郡山の伝説』より