機織御前と沼ヶ渕

福島県郡山市

下行合の見渡神社の四基の鳥居に行合神社という鳥居があるが、これが御前様を祀ったものだという。昔、高倉の羽広に弥五郎という人がおり、美しい娘がいた。娘は機織がとても上手で、世話する人がいて福原のある家に嫁いだが、どういうわけか婚家を嫌って実家に戻ってきてしまった。

ところが、弥五郎はこれを良しとせず、家に入れず婚家に帰るよう諭した。娘は仕方なく家を出たが、どうしても戻りたくなく、阿武隈川の大平の渡しまできて、大石のくぼみに身を寄せ雪をよけていたが、とうとう沼ヶ渕に身を投げてしまった。旧三月二十八日のことであったという。

数年後、行合の宮司が沼ヶ渕の大杉の手入れをしていて、鉈を渕に落としてしまった。これを水に潜り拾おうとすると、立派な御殿があり、絶世の美女が機を織っていた。姫は、ここはあなたが来るところではないといい、機織りの糸が巻かれたシクダを渡し、翌日になれば糸が戻り、尽きぬ糸のシクダであるといった。

宮司の女房がそのシクダで機を織ったが、確かに糸がなくならなかった。しかし、ある日夢中で織って一日で糸を使い果たしてしまった。するとシクダの芯がかな蛇になって逃げてしまったという。宮司は糸が尽きそうになったら翌日にまた使うよう言っていた姫のことを思い出し、沼ヶ渕に行ってみると、そこには機織りの美女の死体が浮いていた。

この機織御前の生家は羽広の旧家というが、明治の初め頃まで、春秋の行合神社の祭礼には、酒五升を献上していたという。祭礼には付近の夫人が集まり古くなった機織道具や糸や端切れ、髪の毛などを納めたそうな。

渕の祠は残されていないが、その上に祠があった、という土塁はある。また、嫁が身を寄せたという大石は残っている。旧家にも機織御前ないし橋本御前様というお宮があった。明治に龍王御前様と改められたが、今もお宮はあって、旧三月二十八日と九月二十八日が祭りである。

郡山市教育委員会『郡山の伝説』より要約

この地の行合(ゆきあい)というのは、田村将軍の伝説にまつわるということになるので、名そのものは機織御前とは関係ないと思われる。見渡神社は現存するが、行合神社の鳥居が今もあるのかは不明。北側の大平には、御前川原・御前田などの小字が見える。