鈴淵(れいぶち)の西側に、昔曲がりくねって流れる川があり、あちこちに沼があった。鈴淵の村前にも沼があり、月夜の晩になると、鈴を振ったような音が聞こえてくるので、土地をスズブチと呼んだという。
昔、鈴淵の男が夜スズブチにヨヅキに行くと、噂に聞いていた鈴の音が聞こえてきた。耳にするのは初めてであったので驚いて、音のするほうを見ると、音は沼の中から聞こえてくる。カランコロンというリズミカルな音は続き、男はそっと沼に近付いてみた。
すると、おぼろ月夜の薄明かりの中、ひとりの美しい娘が、一心に機織りをしているのだった。鈴を振る音に聞こえたのは、はた織りの音だったのだ。その美しさに、男は思わず声を出してしまい、驚いた娘は機織りをやめてスーッと消えてしまった。
男は村人にこの様子を話したが、自分も見たいとスズブチに行った人は見ることがかなわず、もう二度と現れなかったという。それから部落を鈴淵というようになったが、この娘は沼の主で、嫁入りの着物を織っていたのだといわれる。
少し北に行って阿賀川と宮川の合流する土地は、広く田が広がるなかに、島のような集落が点在する土地だが、内に鈴渕の家々があり、鈴神社が見える(委細不明)。公には鈴渕(れいぶち)と書くが、いまは真宮に含まれ、大字としては使われないようだ(小字は鈴ノ宮となっている)。
川は宮川までは行かぬ雰囲気であり、今は土地の西を直線に流れる用水路が曲がりくねった川だったのだろう。伝説の沼というものはもう見えない。また、娘は沼のヌシだったとはいうが、竜蛇といっているわけではない。
周辺には正体が竜蛇であったり(「大蛇きれいな女房に化ける」など)、竜宮の姫であったり、あるいは竜蛇に見初められる娘であったりという機織り娘の話が多いが、そういった竜蛇の要素を直接言わない話にも見ていきたい部分はある。
ひとつはそれが姥神と同一視されていくところだろう。鮫川のほうの同じように機織りの音が聞こえたという石には、姥神神社が祀られた(「機織石と姥神神社」)。これは関東の咳の婆様のようなところもある。
双葉の大熊のほうでは、弁天さんに姥神の印象を持っているようなところもある(「弁天様の話」)。これは機織り娘の話ではないが、山姥と機織り姫、機織り姫と弁天というのは相通ずる存在だ。
この辺りも参考に見ておくなら、鈴淵の機織り娘の正体というのも、それらを思い浮かべながら考えるべき存在、ということになる。単純に竜蛇の娘だったのだろう、ですべて片付けると、話の幅が狭くなるということだ。巡り巡って同じではないか、というならばそれは望むところではあるが。