おふじさん

福島県会津若松市

昔、村に鎌沼という大きな沼があり、恐ろしい主がいた。毎年六月頃に、村の十五、六歳の綺麗な娘を人身御供に出さないと、主が大暴れするので、村人は困っていた。その年もまたその季節になり、皆心配して泣くばかりの様子だったが、おやがっつぁまの三番娘のおふじさんが、自分が人身御供になると言い出した。

親兄弟はじめ村の人たちが涙をのむ中、その日が来て、娘は綺麗な花嫁姿に着飾って鎌沼に向かい、一天俄かに雷鳴轟き、一瞬の大嵐が過ぎたかと思うと、おふじさんの姿は消えていた。

ところがそれから四五日した昼下がり、南西の空がひときわ明るくなったかと思うと、そらから一層美しくなったおふじさんがたくさんの宝物をもって舞い降りてきた。

おふじさんは、主が、村の災難を一身に背負ったおふじを褒め、宝物をの持たせ帰してくれたのだ、といった。これより人身御供はなくなり、おふじさんは村人から村の守神のように崇められ長く愛され、平和な月日を送ったそうな。

北会津教育委員会『北会津の昔ばなしと伝説』
(ぎょうせい)より要約

会津若松市でも西のはずれ、宮川のほとりは北会津町宮袋という土地があり、内に鎌沼の小字が見える(沼はもう見えない)。程近くに冨士神社が二社見え、おそらくはこの土地の話ではないかと思われる。

しかし、こういった人身御供の娘の話は、本当に娘が沈んでしまう、という話でもあったろうが、水神に仕える娘が日常の共同体を出る(そして巫女になる)という話でもあったと思われ、あるいはこのような筋立てにもなるものかもしれない。