ささやき橋

原文

もと福島城内西門の南にあった板橋である。笹木野村の杉の大木を倒して、ようやく運び、橋をかけたが、夜三更の時刻(午後十一時〜午前一時)になると、橋の上にだれか人がいてささやく声がする。出て見れば人の影もない。入ればまた声がする。それで耳語(ささやき)の橋と名づけたという。古歌に、

 道奥の袖の津(みなと)を渡らばや

  耳語の橋しのびしのびに

 何者のいかなることか耳語きて

  橋は仇なる名が残りけり

とある。古くはささやき橋と袖の津とが相対していたのであろう。大熊川(阿武隈川)の地形も、洪水などのため昔と変わってしまったことと思われる(『信達民譚集』)。

橋は福島城のお堀の橋であった。毎晩ささやくのは、伐られた大杉の精がおろすという娘を慕ってささやくのだとも噂された。殿様はていねいに供養してやったので、それからは何も聞こえなくなった。また、杉は横にされても両方の端からたくさんの根を出して長く腐らなかったとも伝えている(『福島市の文化財口頭伝承篇』)。

郡山市安積町を流れる笹川を音無川、それにかかっている橋をささやき橋という(『郡山市民俗篇』)。

もと信夫郡吾妻町笹木野のささやき橋の話は、杉妻のものと同じらしいが、『福島県史民俗篇』には『信達一統志』を参考にしたと断って次のように述べている。

信夫郡吾妻町笹木野にささやき橋と呼ばれる橋がある。夜中になるとこの橋の上でだれかぼそぼそとささやく声がするので、行ってみると人の影もないという。それでささやき橋と呼ばれるようになったのであるが、次のような話が伝わっている。

昔この橋をかけようとして、大きな杉の木を伐った。ところが一夜のうちにその切り口がふさがってしまう。どんどん人夫を増してついに伐りたおしたが、いざ運び出そうとするとちっとも動かない。困って占師に占ってもらうと、この木の精と通じた婦人をつれてきて、木に寄らせ、別かれをささやかせると動くといわれたので、そのとおりにすると、はたして大杉は軽々と動いた。この杉でかけたのがこの橋なのだという。(福島市杉妻町)

※石橋と解説板の写真がある。

岩崎敏夫『磐城岩代の伝説』
(第一法規出版)より