信夫の大杉

原文

昔、聖武天皇の御代、笹木野に大杉があった。その霊が化して美男子となり、夜な夜な村の娘のもとに通った。娘が怪しんで聞いてみても答えなかった。あるとき、娘はひそかに針に糸をつけたものを男の袴の裾に刺しておき、その跡をしたって行った。男は大杉のもとに行ったかと思うと、急に姿が消えて見えなくなり、針ばかり杉の根もとに刺さっていたという。今その所を緒針というが、小針とも書く。娘ははじめて男が杉の霊であることを知ったが、その次の夜から男は来なくなった。

この大杉は非常な巨木で、田畑四万石に日かげをつくるほどの茂りかたで、その下は作物ができないので、国人たちは伐採することを公にお願いした。そのゆるしがでたので人々は喜んで伐りはじめたが、夜になると切った木片がふたたびとびついて、一夜のうちに切り口がまたもとどおりにふさがって、十日におよんでももとのままであった。人々はこれを見て大いにおそれたという。

そのとき、トヨキ(ヨモギ)という草が、化けて人となり、伐った切れはしを焼きすてればよいと教えてくれたので、人々はその教えのとおりにしてさしもの大木も伐り倒すことができた。このため当村には、それ以来この草が生えなくなったという。

この話は次のようにも伝えている。

この地に昔二十歳ばかりの美しい娘がいた。近くの笹木野村の大杉が、化して美男子となり、夜ごとに娘のもとに通ってきた。そのうち娘は二児を産んだが、子どもは死んだので、天戸川と須川の間に葬った。これが二児塚である。

また、笹木野の大杉がたたりをするので、朝廷では、阿部清明と芦屋道満の二人を奥州につかわした。二人が杉の霊をなだめ、神といつきまつったのが杉妻明神だという。

また、現在福島市内の地名となっている杉妻(すぎのめ)の荘も、大杉と娘にちなむ名である(『信達民譚集』)。

こんなふうにも伝えている。

娘の名は「おろす」といった。大杉を倒す方法を教えたのは、かねがね杉と仲のよくないヨモギであった。伐られた大杉が橋になることになって川を流されていくときも、ヨモギが悪口を言ったので、杉は怒って逆もどりした。そこを今「杉上り」という(『福島市の文化財口頭伝承篇』)。

このときできた橋が、ささやき橋である(橋の条参照)。(福島市笹気野)

 

類話:杉目大仏(福島市大町)

笹木野の大杉の精が殿中に現れたり、伐って橋にすれば怪しいことが起こったりするので、人々はそのたたりをおそれた。殿様は杉の霊をなぐさめるために、残りの杉の木で大日如来の仏像をつくり、城内の到岸寺に安置した。これが杉目の大仏で、お城が大仏城と呼ばれるゆえんである。杉妻とも書く(『福島市の文化財口頭伝承篇』)。

岩崎敏夫『磐城岩代の伝説』
(第一法規出版)より