大蛇の橋 山形県南陽市 帰城を急ぐ殿さまが小岩沢まで来ると、川の氾濫で橋がみな流されてしまっているという。それでも急ぐ殿さまが川の前まで来ると、流されたという橋が架かっていた。殿さまは駕籠から下りて、杖をついて橋を渡った。 渡り終えて振り返ると、欄干が立って目玉が光っていた。急ぐ殿さまのために蛇が橋になってくれていたのだった。殿さまは感じ入り、杖で蛇の頭を撫でようとした。ところが誤って、その蛇の目に杖を突き刺してしまった。それよりこのあたりの蛇はみな片目だという。 『南陽市史 民俗編』より要約 奥羽本線中川駅の南東方に蛇ヶ橋という石橋があり、土木遺産ともなっている。別名小巌橋というそうなので、おそらくその橋だろう。蛇の橋なのだから、今の橋にはつながらないだろう、ともいえるが、この話はおそらく殿様の杖によってその渡川場が人の制する範囲に置かれた、という話だと思われる。 橋というのは境界であり、土地を違える人の往来を容易には許さない。それが、そこをたやすく越境できる人がおり、殿様はその代表になる。伊豆にも頼朝を渡した蛇の橋の話などがあるが(「蛇が橋」)、同じような話だろう。 殿様の道は塞の神の影響を受けない(ので、花嫁行列はそこを通る)、というような話は各地にある。逆に、一般の民が蛇の橋を渡るならば、それは「越境を許される」話と思われ、その理由がどこにあるか、ということを考える必要があると思われる(「天王免のクロ」など)。 ツイート