静田家の「蛇除け」の御符と薬は代々受け継がれてきたが、静田家の先祖に茂太という者がおった。ある日、用事で野原を通りかかると、悪童どもが蛇にいたずらをしていたので、金を与えて蛇を救い、薮に放してやった。
数日してその野原を通ると、黒染めの衣の僧に呼びとめられた。聞くと、蛇の王の使いで、先日の礼をしたいという。案内されて行ったところ、その家で美女に囲まれ、山海の珍味でもてなされ、帰るときに、毒蛇に噛まれたときの毒消しを所望した。この時にもらったのが蛇除けの護符と毒消しの薬の処方であったという。
人がたまたま蛇が蛇にその秘術を使う所を覗き見て知る、という話も多いが、この米沢の静田家のご先祖のように報恩として授かるとなる方が好まれるだろうか。東北地方では、仙台藩の花渕善兵衛も蛇を助けて秘法を教わるが、やはり恩返しの筋となる。
このような話は「蛇は蛇の毒を消す薬草を知っている」ということなのではあるが、より根源的に、「蛇は不死となる薬草を知っている」とうモチーフから分れてきたものと思われる。
しかし、毒消しという点に特化すると少々話が変わってくることもあるようだ。津軽五戸のほうで語られた話は、その毒消しとなる朝顔を集めることで、蛇自身は死んでしまう、という展開を見せる(「和尚さんと蛇」)。