蛇石の事

原文

慈覚大師薬師如来勧請なし給わんとて、この地に入り給うに深山宮のあるが故、深山宮を祈り奉り、願わくば薬師如来勧請の地の御山の中に貸さしめ給えと祈念し給えども神堂拒み給いしや。御宮より官女現われ給い、慈覚大師に向かって曰く、「この山成り難し」と言う。慈覚の曰く、「願わくば十年の間、貸し給え」とて証文を書き官女に渡せり。官女この証文請取り忽然として、その姿は見えざりける。是に依って慈覚大師、薬師如来を勧請あって十年を過ぐるに、官女また現われ来り、慈覚大師に向かって曰く、「約束のごとく十年を経たり。本地に戻されよ」と言う。慈覚の曰く、「証文をよく御覧あれ」と言う。官女此の証文を開きよくよく見るに十の字の上幽かに点一つあり。慈覚の曰く、「是千年の証文なり」と言えば、官女怒れるさま現われ、「慈覚我れをよく、たばかりしやな。我は是深山権現の使なり。我が粗忽にせよ、このままには成り難し」と言うままに、忽ち官女の姿変じてはたひろ大蛇となり、雲を起こし雨を降らしめ、大風しきりにして、諸木を倒しはたひろの大蛇紅の舌を出し火煙吹いて慈覚に飛びかかる。慈覚も一世の大事と秘文を唱え独鈷を以て是を防ぐ。その有様百れんの雷、地に落ちかかる如く震動、雷電おびただしく、黒雲の中より、慈覚と大蛇あるいは現われ、あるいは隠れ、その争い二夜三日にしてようよう雲晴れ風雨天しずまりけりとなん。

慈覚大師、大蛇の怒り鎮めてみさかの石中にその霊気を祀り籠めて、石上に不動尊を立て給う所なりと言う。

(若宮八幡宮記録「古跡俚諺記」より送り仮名など一部修正してある。)

『岩沼市史』より