蛇走り山

原文

末崎町に作沢という部落がある。この部落の奥の方に「蛇走り山」と呼ぶはだか山があるが、この山の名称にまつわる言い伝え──

ある年の秋、大暴風雨が七日七晩も続いたことがあった。水があふれ、大洪水となり、ついには〝山津波〟となったのである。作沢の部落中の鷄が一斉に鳴き出したかと思うと、大きな竹林が、ど、ど、ど、と動き始めた。と見ると、物凄い大蛇が竹林の土塊を背負ったまま走り出たのである。間もなく竹林は途中に止まり、大蛇のみが島崎方面に走り去っていった。

これを見た「しも(屋号)」の主人は、急ぎ弓矢を取り、葦毛の馬に跨がって追いかけたが、どうしても追いつかなかった。大蛇は小友(陸前高田市)の東端「みんぜん浜」から海に入り込んでしまったので、主人はむなしく戻ったという。

それから、小友のこの岬を「蛇が崎」と呼ぶようになり、また末崎の作沢部落では以後、葦毛の馬と鷄はこれを飼うことはなくなったという。

そして、作沢のはだか山を「蛇走り山」と呼ぶようになったが、この山には今でも、大蛇の走り出した大きな穴が残っているという。

『大船渡市史 第四巻 民俗編』より