娘、鐘となる

原文

ある富家に好き娘ありて年頃になりぬ。一日、使に来れる若者之を瞥見して、娵に欲しというに、一人娘の故にとて断わられたり。さらば養子にしたまえと重ねていうに、娘には既に許婚したる人あり、思い止まりてよといわる、其後、若者は復此家を訪う、娘隠る、若者強いて逢わんといい、終には狂うが如く娘の命を奪らんという。娘おそろしくて寺に奔り、如来さまの後ろに潜む、若者も亦後より逐い来り寺内を隈なく索む。女逃げて鐘の裡に入りぬ。若者は鐘を扛げて女を捕えんとすれど鐘重くして地より離れず、焦心ちで鐘を女もろとも焚き捨てんとす、女之を悟り、よしさらばとて龍に化し鐘を溶かしたれば、鐘に凭りかかれる男の骸もとけ失せたり。かくて後女は復原の美女にかえりて、己が家にゆきぬ。北津軽郡中野村深郷田の善導寺に此趾ありとか。(嘉瀬)

内田邦彦『津軽口碑集』
(郷土研究社・昭4)より