娘、鐘となる

青森県五所川原市

ある富家に年頃の良い娘がいた。使いに来た若者が一目惚れし、嫁に欲しいと名乗り出たが、一人娘故に、と断られた。それでは婿に、と重ねて若者がせまると、娘には許婚がいるので諦めてくれ、と言われた。

ところが若者はまた家に来るので、娘は隠れ、終には若者は、狂ったように娘の命を奪うといいだした。娘は恐ろしくて寺に潜んだが、若者は追ってきて探した。娘は鐘の裡に入ったので、若者は鐘を上げて娘を捕えようとしたが、重くて持ち上がらぬ。

若者は苛立ち、鐘もろとも娘を焼こうとした。娘はこれを悟り、ならばと龍と化して先んじて鐘を溶かしたので、若者の骸も溶け失せた。こうして娘はまた美女に戻り、家に帰った。北津軽郡中野村深郷田の善導寺にこの跡があるという。

内田邦彦『津軽口碑集』
(郷土研究社・昭4)より要約

五所川原市の嘉瀬で語られたようだが、北側の中泊町深郷田に善導寺の名が見える(委細は不明)。題は見ての通り「娘、鐘となる」なのだが、どう読んでも娘は龍となって鐘を溶かしている。おそらく題がおかしいのだろうが、一応そのままとしておく。

それをさておいても、この話はまことに奇妙な筋の話だ。一見すると道成寺であり、幕も女が龍となって鐘を溶かしているのではあるが、追っているのは男で、逃げているのが娘のほうだ。

男に持ち上がらぬ鐘に娘が入れたのはなぜか。如来の加護なのか、娘が既に人外の者となっていたのか。そもそもなぜ娘は龍になったのか。ちょっと他に類を見ない話なので何とも言えない部分が多い。「道成寺をちょっと変えてみよう」というほどの理由でできた話かもしれないが、必然の筋であるとしたら、鐘と竜蛇の関係を考える上での意想外の一面を持っているものかもしれない。