龗神社

青森県八戸市

人々は親しみを込めて「法霊さん」と呼んでいる。例祭は九月二日。祭神は高龗神、水神、竜神の龗神のことである。祈雨、祈晴の神さまである。かつては八戸城地に鎮座していたといわれている。勧請年代は、はっきりとは分からないが、鎌倉時代から法領明神の別当で代々大善院と称されていた。寛永四年(一六二七)に再建された。南部二十七代信濃守利直の時代にまた造営されたと伝わる。さらに寛文四年(一六六四)に八戸藩が独立し、現在地へ寛文六年九月二十日に遷座した。これにより時の別当大善院寛久に八戸総鎮守の命があり、南部家代々が崇信した。文政八年(一八二五)、八代信真の時に再建された。これが現在の社殿である。

言い伝えによると、法領という修験が、日照りに雨乞いをしたが効果がなく、農作物が枯死するのを見かねて竜神に身を捧げて池に投じたところ、にわかに雲が立ち込め降雨をもたらしたので、その神徳を称えてお社を建立したという。竜神は稲作、水の神さま、農耕神なので、藩政時代から領民に崇拝されていた。八戸藩の藩神でもあり、藩主の祈祷所でもあった。風鎮祭、安穏祈祷、悪病退散祈願などが行なわれている。

『八戸市史 民俗編』より

龗(おがみ)神社は八戸最古の社といわれ、今も八戸三社大祭という大きな祭りの中核を担っている社。義経伝説の社でもあり、法領明神としての縁起は鎌倉以降だが、平安時代にすでに祀られていた社であろうとされる。

余談だが、この法領(法霊)という修験は代々同社の神官を務める家の先祖といい、これが伊豆伊東氏の工藤の末裔だというので(八戸には犬房丸伝説もある)、遠く相模湾岸と縁のあるところもあるお社だ。