十和田山由来記(抜萃)

原文

爰に八之太郎の出生を尋ぬるに南部八戸の片田舎に十日市と云う処有り、爰に貧しからざる者の子供多き中にお藤とて田舎には稀なる美女あり、高きも賤しきも心を掛けぬ者とてはなく、或夜お藤が垣の外に美少人たたずみてお藤に向い様々かきくどきければ、お藤も賤しからぬ人躰に心迷い深き妹背の中とも成りければ、段々月日重なるに随い遂に懐胎とは成にける。或時此美少人申様馴染てより昨日今日と思いしか月日重り御身も懐妊に成るなれば某も暫く別れ申也、懐胎の子誕生致なば大方男子にて可有、名を八の太郎の名付くべし。亦住所は八太郎崎と申処也。又もや来らん暇申也と立出ければ、お藤は引留めうらめしき仰かな、君故是迄浮名を流し其上親兄弟にもうとまれし自らを振捨行とは本意なき事也、仮令野の末山の奥鹿臥す沢の末迄も連行給えとかきくどき、美少人申様我住家は余りにいぶせく候得ば平に留り給いと言けれど、更にお藤は聞不入、美少人も詮方なく嗚呼無拠次第也、此上は恥かしき事ながら我が姿を見すべしと、言かと思ば忽ち二十尋斗の大蛇となり黒雲に打乗り八太郎の沼へ飛入りけるはすさまじかりける事どもなり。お藤は大に驚き暫しあきれて居たりしが詮方なければよし此上は此身こそと思い極め光陰を送りしが、月日に関の不有ば満る月日に当りければ安く平産し取上見れば歯は不残生い揃い眼明にして躍出たる有様は言わねどもそれと知られたり。斯て大蛇の言置し通り男子なれば八の太郎と名を付け月日を送りける。(『大館村史』所収「十和田山由来記」抜萃)

『日本伝説大系1』(みずうみ書房)より