昔、津軽にケチな安兵衛という人があり、薬代もケチって十二月の薬師講まで待って出かけた。その道すがら、鳥を狙う狩人がいたので、見ていると、狩人の後ろには大きな蛇がいて、狩人をひと呑みにしてしまった。それで蛇は膨れた腹を引きずっていたが、ある緑の草をなめると、しなやかな腹に戻った。
安兵衛は感心し、この草があれば薬師講でそばを振舞われても大丈夫だ、と草を摘んで行った。そして、薬師講では腹が張り裂けそうになるまでそばをごちそうになった。さらに安兵衛は欲張ろうと思い、はばかりに行く、と言って外に出て、草をなめた。
その後、いくら待っても安兵衛が戻らないので、医者が心配になって探すと、けやきの木の前に羽織が一枚あって、その上にそばがあがっていたという。緑の草は、そばが溶けずに、人の身が溶ける草だったのだ。
つまり、草をなめて安兵衛自身が溶けてしまって、羽織と腹の中のそばだけが残っていた、という話。これは落語の蛇含草・そば清の筋が昔話として語られたものと思われる。笑い話といっても、人の身体が溶けて腹の中身だけが残るという悪趣味な話だが、かなり全国で昔話化しているようだ。
ただし、蛇が秘薬のもとになる草を知っている、というモチーフは洋の東西をまたいでかなり古くからある話だと思われ、そば清がその末端であるというなら、人気の笑い話というだけでは済まないかもしれない。
蛇が(概ね恩返しに)薬草の知識を人に与える、という話は日本ではあまりはっきりしないのだが、このそば清のような筋をもとにしてか、家伝の薬の由来とするような話もある(「食傷丸」)。
また、海外に見るような、より直截に、蛇が恩返しに薬草を持ってくる、という話も同青森県下に見えはする(「和尚さんと蛇」)。これらの話はよく知られたものだけ比べると、まったく別の話なのだが、こうして並べていくと少しずつつながるところが出てくる。