白がぶヶ子

青森県弘前市

昔、七十の坂を越えた甚吉夫婦がおり、働けど貧乏で子もなかった。年の瀬を迎えたがお金がないので、甚吉は山へ松竹を伐りに行った。ところが、村町を売り歩いても松竹はひとつも売れず、甚吉は困り果てて海へ流れる川にかかる橋の上に来た。

そして、松竹を一本一本流していたが、しまいには、竜宮様お使いなすって、と言って、橇ごと松竹を川に投げ入れて帰った。すると、途中うしろからついてくる子供があり、その子は甚吉に門松の礼を言い、竜宮でお正月ができる、と言った。そして、お礼がしたいから帰ったら家の中を探すよう言い、去った。

甚吉は家に帰り、婆様に一部始終を話して家中を探した。特に何もなかったが、おしまいに天井から下がっている火棚の上を見ると、全身真っ白な子がほしてある薪の上に乗っかっていたのだった。その子は、竜宮からお礼にあがった白がぶヶ子だ、とかわいい声で名乗り、この家の子供となった。

白がぶヶ子が来てからは、老夫婦の家はにぎやかになり、海からの魚が食膳をにぎやかにし、白がぶヶ子が米櫃に米をどっさりうんで、二人を驚かせた。こうして、それから老夫婦には幸福が長く続いたそうな。

斎藤正『[新版]日本の民話7 津軽の民話』
(未來社)より要約

九州のほうでよく語られる竜宮童子の話だが、これが三陸に来ると釜男なる面の由来として竜宮から来る大男の話になり、津軽に来るとまた竜宮からくる子どもになる。

多くの話では、吹き出物が多かったりなんだりととかくみすぼらしい格好の子どもと語られるが、ここでは真っ白な「白がぶヶ子」という存在と語られている(『通観』では「白かぶが子」)。

私はこれは「灰かぶり」の末ではないかと思う。世界の昔話で、灰かぶりはシンデレラ的な女の子だけでなく、暖炉の前でいつも灰をかぶっているうだつの上がらない三男坊の話であることも多い。本邦にもそういった寝太郎の事例がある。

これと三陸の釜男(釜男の面は竈の上に掛けられる)の話を併せ考えるに、白がぶヶ子は灰かぶりじゃないかと思うのだ。もしそうであれば、この話は竜宮童子から灰かぶりの子、釜男から座敷童子といういろいろの話をつなぐ結び目に来るものかもしれない。